第二次世界大戦後の難波田春夫は、講談社・野間社長の招聘により、同社内に置かれた経済学研究所を拠点として研究活動を再開した。その成果物である『経済学研究所叢書』は、難波田にとって、戦前と戦後をつなぐ実に重要な研究成果であり、難波田春夫の学問の発展について考えていく上で、貴重な資料でもある。
講談社・野間社長が難波田に経済学研究所を用意した経緯について、『追悼・野間省一』 の117~120頁に難波田自身が次のように記している。少々長くなるが、引用しておこう。
「・・・思い切って、当時のことを一言でいうと、私は野間省一さんにかくまわれて、占領下の異 常状態のもとで「生きていた」のである。一面識もない野間さんを講談社に訪ね、経済学研究所 をやりたいがとお願いしたのは、たしか昭和20年も終わろうとする頃であったが、「何のオブリゲーションもありません、ただ勉強さえして下されば結構です」とおっしゃって、間もなく三階に「経済学研究所」という看板のある部屋を用意して下さった。オブリゲーションという英語 を使われたのが、いまでも強く印象に残っている。私は感動した。こうして私は、野間さんにかくまわれて、講談社の一室の中で歯ぎしりしながら勉強することになった。いま、私は「かくまわれて」という言葉を使ったが、それは決して誇張ではない。何しろ終戦と同時に、それまでは、現在の「フライデー」、「フォーカス」に相当する某誌の言葉をそのまま 引用すれば、「若くして壮大な国家学の体系を樹立した」などといわれていたのが、一夜にして様変わりし、四面楚歌の中におかれるようになったのだからである。あんな男と付き合っていたら、占領軍からどんなお咎めがあるかも知れないと、誰も彼もが寄りつかなくなった。そんな時期だったからである。何もおっしゃらないが、野間さんの好意は身に沁みて感じられた。」
昭和20年暮れとのこと、難波田春夫39歳の時である。けしてベテランともいえない時期の、むしろ若手とさえ言うべき研究者が、戦後、一面識もない野間社長を講談社に訪ね、研究の継続が叶ったのである。難波田にとってこの経済学研究所がいかに重要な存在であったか。容易に理解できよう。難波田という研究者の底知れない強さとともに、基礎研究に取り憑かれた難波田の、この道を歩むほか生きる道のない難波田の、その生き様が、このエッセイに、当時の自らへのやわらかきまなざしでもって、記されている。
『経済学研究所叢書』の、昭和27年(1952年)4月付けの発刊の趣旨を、引用しておきたい。
発刊の趣旨:本研究所の本来の目的は、経済学及びその根柢に関する基礎的原理的な研究である。しかしこの学問の性質上、現実の諸問題との接触を回避しない。研究の途上、当面の問題に対する基礎的原理的な検討がなされ、その限りにおいての成果が生ずるのは当然である。そこで本研究所は、これらの──本研究所としては副産物ともいふべき──研究の成果中多少とも世に稗益するところがあると思はれるものを選んで、随時これを発表することとした。本書はその第四集である。昭和二十七年四月 経済学研究所(代表者 難波田春夫)
ここに記された「本研究所としては副産物ともいうべき──研究の成果中多少とも世に裨益するところがあると思われるもの」が、下記にまとめた『経済学研究所叢書』の各集である。
経済学研究所叢書
- 第1集 新しき愛国心─日本再建の基本原理について
- 第2集 講和後経済の基本問題
- 第3集 平和の理論
- 第4集 労働の哲学
- 第5集 天皇制緒論
- 第6集 戦後世界経済分析
- 第7集 レーニン主義の本質
- 第8集 マルクス主義の本質
- 第9集 経済不況の現状分析
- 第10集 資本主義と農業制度─マックスウェーバーの所論
- 第11集 市民社会の法と道徳─カントにおける
- 第12集 東欧経済の現状
- 第13集 戦後独逸経済の国家・経済論
- 第14集 戦後独逸の社会主義
本来は、第1集に記された発刊の趣旨を確認すべきところであるが、その第1集が手に入らない。発刊の趣旨がその文言を各号ごとに異にすることもなさそうであるが、上記引用は第4集のものであることを、一応ここに記しておく。
なお、その第1集の「新しき愛国心」と同じ主題をもつ論考が手元にある。難波田春夫「新しき愛国心─新生日本の基本原理について」『日本新生叢書』第一集(日本新生協議会)1951年9月25日発行(編集印刷・発行人:清水泰雄)。この『日本新生叢書』の愛国心論考と、『経済学研究所叢書』の愛国心論考が、どこまで等しいものであるのかについて、確認する術はないのだが、論旨に大きな差異があるとも思えない。
難波田の愛国心についての論考は、その題名だけ、あるいは前半部分から直感的に茫漠とイメージするだけでは、右翼的心情による戦前へのノスタルジーにすぎないとの印象をもってしまいかねない。しかし後半部分も合わせて通読すると、難波田の研究の本質的な論理展開がみえてくる。
なお、戦後すぐの難波田の研究は、以上の『経済学研究所叢書』および『日本新生叢書』とともに、『東京都立商科短期大学研究報告』にも発表されていた。今後とも調査を進め、戦後すぐの難波田の研究の全貌に近づいていきたい。ここでは、昭和30年1月付けの、『東京都立商科短期大学研究報告』創刊の言葉を引用しておく。難波田が学術研究をどのような実践として捉えていたのかが、明確にわかる文章である。
「危機意識が問題意識を、問題意識がその解答を要請してやまない。学問の進歩はかくして危機意識の発生に促がされた。この意味において、地上から平和の消え失せた今日ほど経済学の進歩が期待されている時はない。平和を──アウグスチヌスとともに──「秩序の静けさ」と規定するならば、現代の不安の根本的原因が社会の根抵をなす経済における秩序の喪失、あるいは少くともその動揺にあることは、もはや否みがたい事実となっているからである。それゆえ、いま経済学は、他のあらゆる学問にもましてこの危機を意識し、この問題を自覚し、自己に寄せられた解答への期待をひしひしと感ずるのである。大学はもともとuniversitas scholarium、即ち真理を愛し、真理を探求する学徒の集団を意味した。本学は昨年4月に創立されたばかりであつて、その数はまだわずかであるが真理の探求に情熱をもつことにおいて人後におちぬ学徒ばかりの集団である。ここに本誌を発刊して、 われわれの日頃の研究の一端を公けにし、大方の批判を仰いで今日世の期待するところ最も大きい経済学の進歩のために、いささかでも寄与するところあらばと念願する次第である。」
さて、上述の愛国心論考において、難波田は紛れもなく、ヘーゲリアンであった。日本社会を貫く近代的経済社会の論理を見抜いていこうとする壮大な難波田の研究は、ヘーゲルの人倫の学を柱のひとつとしていた。それは愛国心論考に明確に見てとることができる。しかし、難波田はまた周知のように、ヘーゲリアンであることに止まる学者でもなかった。ヘーゲルに依拠しつつも、マルクスが見抜いた近代経済社会の根本的矛盾を克服していくために、いかなる原理が要請されるのかについて、難波田が進めた洞察は、歴史的にも地域的にもどこまでも普遍的なるものをまさに日本的なるものの深奥において追求する、真に日本主義的性質の思考であった。
『日本新生叢書』版の愛国心論考から、次の箇所を引用しておきたい。
「要するに、日本はこれまでのさまざまの社会的欠陥を是正するため、大いに自由と平等、自由民主主義と共産主義の制度の長所を採り入れなければならない。この努力はどれほど大きくても、決して大きすぎることはない。とはいえ、これら二つの相互に対立する原理、制度の両方を採り入れることを可能ならしめるものは、却って過去の日本が持っていた人倫的愛の原理である。このことを忘れてはならない。それゆえ日本は、過去の自分を捨ててしまって自由民主主義や共産主義に変える必要がないどころか、過去の自分の原理を持ちつづけることによって、はじめて本来ならば相容れぬ自由民主主義と共産主義の制度をともに包容し生かすことができ、真に理想的な社会組織をうちたてることができるのである。日本は自己を見失ってはならない、但し、本当の自己を、より高き自己自身を。」
「日本のもちつづけて来た人倫の原理が自由民主主義や共産主義に対して何ら劣るところのない、というよりは、それら両者の原理を統一するより高次のものであり得る以上、われわれの日本に対する愛情、われわれの祖国愛は、理性的にも承認できるものであった。いな、理性的に承認すべき真のもの、最高のものであり得た。われわれは伝統的な愛国心をかくして再確認しなければならない。しかし他方、われわれは日本における人倫の原理を反省して、その人倫的愛が自由と平等とを統一する原理であることを、もっと深く自覚すべきことを知った。この自覚は、もちろん単なる観念的な自覚に止まらず、社会の組織制度のなかに具体化させて行かねばならない。人倫的統一のなかにおいてではあるが、またかかる場合においてのみ可能なことではあるが、自由民主主義の自由と共産主義の平等とをできるだけ進めて行く努力が必要である。われわれの愛国心はこのような自覚をもたなければならない。だからして、それは単に過去の日本の愛国心を再確認するだけではなくて、それと同時に、上述のような自覚に基づく多くの革新を断行する責任をもっている。われわれの愛国心は、かくして一方では伝統に即した旧いものであるが、他方では革新の意志に燃える新しいものでもある。それは旧くて新しい日本──日本の新生──をつくり出そ うとするものである。」
こうした難波田的日本民族主義の思想は、『経済学研究所叢書』第3集の「平和の理論」においては、国際平和の原理を思考する根拠ともされている。この平和論考は、愛国心論考において論究された難波田の人倫の原理が、国際の平和を論ずるにあたってどう援用されているのかを考えさせる論理構成となっている。難波田のいうところの民族主義が、国際平和の原理として明確に示されている箇所を引用しておきたい。
「世界に永久平和をもたらすものは人倫の原理であるが、アジア、アラブの民族主義運動は、資本主義と共産主義との止揚、したがつて米ソ二つの世界からの解放、という独自の道を進むべきである。民族主義は国際的対立をひどくし、したがつて戦争の原因になると考えられがちであるが、真の民族主義はむしろこのようにして米ソ二つの世界の間に障壁を築き、その間の対立を緩和する働きをするであろう。しかも、民族主義運動が孤立することなく、運命の共同を自覚して相互に連繋をとるならば、第三次大戦の回避必ずしも不可能ではないであろう。われわれのいう人倫の原理はこうして眼前に迫つている戦争の回避に対してすら効果的な手段を示すのである。民族主義がその原理にしたがつて正しい道を歩むことが、平和を確保する根本策である。永久 平和への永久の道もまたこの原理による道以外にはあり得ない。」
核戦争の危機がそれまでの世界史にはみられない激しい緊張感を世界中に浸透させていった冷戦時代の最初期にあって、難波田は、公職を追放されてなお学術の道を歩み続け、公職追放解除ののちもそれまでと変わることなく、日本的民族主義を見直しつつ、そこに通底する普遍的根本原理を掴み直そうと、学術的営為をさらにいっそう深めかつ拡張していった。その際の「副産物」とも言われた上記論考は、難波田自身の社会科学古典研究ノートであり、当時の現代世界経済論ノートでもある。難波田の研究のその体系の展開を見定めていく上で、貴重な資料となるだろう。今後、折にふれ、本サイトで紹介していきたい。
文・臼井陽一郎
