日本経済協会の歴史
1946年 5月
戦後の社団法人第1号として政府の認可を得て発足。発足時は、会長十河信二、専務理事木内信胤で、理事には松本重治(国際文化会館理事長)、松方三郎(共同通信社常任理事・編集局長)、武村忠雄(慶応大学教授)などが就いた。
評議員は小池厚之助(山一証券社長)、渋沢敬三(終戦時の日銀総裁)、浜口雄彦(東京銀行頭取)、脇村義太郎(東大教授、経済学者)、牛場友彦(日本輸出入銀行監事)、堀江薫雄(後に東京銀行頭取)、鈴木治雄(昭和電工社長)など、錚々たる経済人であった。
事務所は千代田区大手町2丁目の野村ビル4階に置いた。
1960~1970年
大銀行や大手証券会社が自前の研究所を開設。
以降、製造業や商社も大企業が調査部門を充実させる。それに伴い、当協会は大企業より中小企業の経営者を対象に、経済の現況や景気見通しなどをやさしく解説し、中小企業の発展に資することを主眼に置いた。
東北、中部、関西、四国、九州に事務局・支部を開設、経済講演会を定期的に開催するようになる。
1978年
武村忠雄が理事長に就任。
1988年
木内信胤が理事長に就任。
1994年
小林七郎が理事長に就任。
2000年
田村正勝が理事長に就任。
2012年5月
法律の施行に伴い、一般社団法人を設立し、団体名を「一般社団法人日本経済協会」と定めた。
2020年5月
一般社団法人 社会科学総合研究機構に法人を承継。現在に至る。
歴代の理事長
初代(1946年~1977年) 十河 信二
当協会の発足時より会長として就任。1955年 第4代国鉄総裁に就任のため一時退任、1963年国鉄総裁退任後、復職した。
- 【略歴】東京帝国大学 法科大学 政治学科 卒業、1981年死去(享年97歳)
- 【主な役職】元 第4代国鉄総裁、元 鉄道弘済会 会長、元 愛媛県西条市長
- 【主な功績】その功績から「新幹線の父」と呼ばれており、故郷西条市には
十河信二記念館が建てられている。 - 【関連書籍】『新幹線を走らせた男 国鉄総裁 十河信二物語』 髙橋団吉
第2代(1978年~1987年) 武村 忠雄
当協会の発足時より理事として就任。その後木内氏より専務理事を継ぎ、前会長十河氏の退任後、理事長に就任した。
- 【略歴】慶応義塾大学 経済学部 卒業、1987年死去(享年82歳)
- 【主な役職】慶応義塾大学 経済学部 教授
- 【主な著書】『統制経済と景気変動 -資本主義構造変化論-』(1939年/有斐閣) 『戦争経済学入門』(1943年/慶應出版社)
第3代(1988年~1993年) 木内 信胤
当協会の発足時より専務理事として就任。当時の吉田茂首相に請われて政府の外国為替管理委員会委員長に就任したため、専務理事の職を武村氏に譲り、非常勤理事になった。その後武村氏の後を継ぎ、晩年まで理事長に就任した。
- 【略歴】東京帝国大学 法学部 独法科 卒業、1993年死去(享年94歳)
- 【主な役職】元 横浜正金銀行 ロンドン支店長、経済評論家、世界経済調査会 理事長、日本国有鉄道 理事、産業計画会議 常任委員
- 【主な功績】吉田茂の元祖ブレーンであり、池田勇人・佐藤栄作両首相の御意見番でもあったことから「歴代内閣の経済指南番」と呼ばれた。
- 【主な著書】『国策を考える』(1964年/時事通信社) 『当来の経済学』(1979年/東京プレジデント社) 『国の個性』(1955年/文芸春秋、1986年/東京プレジデント社)
第4代(1994年~2000年) 小林 七郎
当協会 調査部長として活躍後、木内氏の後任として理事長に就任した。
- 【略歴】慶応義塾大学 経済学部 卒業、2010年死去(享年94歳)
- 【主な役職】(社)日本経済復興協会 調査部長・理事
- 【主な功績】1950年以来、50年以上にわたって当協会に常勤し、十河初代会長をはじめ歴代の理事長を支え、多数の経済論文を執筆した。
第5代(2000年~2020年) 田村 正勝
- 早稲田大学 名誉教授
- 経済学博士
詳細はこちらを参照のこと。