難波田春夫(1938)「古典における国家と経済」『国家と経済』第2巻(日本評論社)。


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難波田春夫の戦前の著作のひとつ、『国家と経済』第2巻を取り上げる。この第2巻は、経済学を反省的に振り返るための序説的な神話論だという位置づけであり、本格的な神話論は第3巻で展開される。なお、本稿は体系的な紹介でもなく、ましてや本格的な研究論考でもない。筆者の関心のままに選択的に取り上げた、何らの理念的一貫性もない、雑記的ノートに過ぎない。
まずは、戦前のこの難波田神話論と、戦後の公職追放中の難波田の研究成果との間の、明瞭な差異に留意しておきたい。戦後すぐの研究は、主に『経済学研究所研究叢書』に発表されていったが、そこにはすぐれてヘーゲル的要素がみられた。ところが、戦前の著作の場合、ヘーゲル的要素はみられない。難波田の研究の核となるのは、どこまでも神話論である。
難波田の戦前の神話論はどのように読まれるべきだろうか。難波田の研究全体におけるその位置づけについて考えていくには、戦後のヘーゲル的要素との差異について考えて行くべきではないか。なぜか。それは、のちの難波田の相互律論への展開の道筋を考えるにあたって、相当に有益であると考えられるからだ。日本の神話からヘーゲル的共同体論そして相互律論へと、難波田の研究は歩みを続けていくのだが、普遍的原理的方向へと進みゆくこの研究の遍歴については、田村正勝による本格的な解説を参照されたい(『ニューリーダー』「難波田春夫先生を偲ぶ」平成3年10月号)。
難波田は、科学の知と神話の知の関係を問題化し、神話の知を浅薄な先科学の知として蔑むような科学の知の、その問題性を抉り出そうとしている。巨大な破壊を世界にもたらしてきた近代合理主義の問題性である。難波田は、神話の知こそ、いま見直されねばならない知のあり方なのだという。以下、難波田の神話についての概説を確認しておこう。
「神話を愛するものも、ある意味では智を愛するものであると、アリストテレスはいっている。周知のごとく科学の最初の完成者であったこの人すらも、神話と智、したがって科学とを、ある意味では同じであるとしなければならなかったのである。 だが、それにしても神話と科学とは、どのような意味においてであれば同一となるので あろうか。一般的にいって、神話と科学との間には、どのような関係があるのであろうか。
まず第一に、神話と科学との間の関係づけは、通常後者をもって前者の発展、進化せるものとすることによってなされている。神話的思惟の発展が科学になるというのである。いまこの考えを、オーギュスト・コントの三段階説によって述べるならば、総じて人間思惟は理論的に異なる三つの状態、すなわち神学的または擬制的状態、形而上学的または抽象的状態、科学的または実証的状態を、順次に経過する。 いいかえれば、人間精神はその性質上、まず神学的方法、次に形而上学的方法、最後に実証的方 法という「本質的に異なる、いな、根本的に相反する特質を有する三つの哲学的方法」を、順次 に使用するのである。 そうして彼によれば、 第一の状態は「人間知力の必然的な出発点」であ り、第三の状態は「それの固定的にしてかつ確定的な段階」、第二の状態はこれら両者の間の「過 度の役割を演ずる」という。
いま、われわれにおける「神話」および「科学」が、それぞれコントにおける第一の状態と第 三の状態とに属することが、大体において承認せられるものとするならば、「科学」が「神話」 から発展し来たったものであることは、認められねばならない。そうしてこのことは、ただにコントの主張であるのみならず、最もよく常識と合致したところのものであろう。
だがしかし、コントの主張のなかには、「科学」が「形而上学」を通じて「神話」に連続して いるということの他に、これらの三つが「本質的に異なる、いな、根本的に相反する特質を有す る」ものであるということが含まれている。いいかえれば、「科学」も「神話」も、人間思惟の 発現である点においては相連続していても、そのような思惟であるかという点では「根本的に相 反する」と考えられねばならぬ、すなわち、「科学」は「神話」と、「根本的に相反する」とい う仕方において相連続しているのである。そうしてこのような考え方もまた、コントだけのもの ではなく、現代の常識であるということができる。「合理主義」をもって第一の特徴とする現代 は、一般に「神話」的思惟をもって、先科学的、いな、反科学的と刻印するのである。現代は何 よりもまず「科学的」であり、したがって「反神話的」である。
かくのごとくにして、「神話」と「科学」との間の関係が、もし現代の常識がそう考えている ように、「根本的に相反する」という仕方においての連続であるならば、最初に掲げた「神話を 愛するものも、ある意味では智を愛するものである」というアリストテレスの言葉は、甚だ浅薄 な意味のものでしかあり得ないわけである。両者の等しと置かれる場合がありとするならば、そ れはただその何れもが、たとえ根本的に相反するものであろうと、なおともに思惟形式であるということにおいてであっても、さらに一歩考えを進め、それがどのような思惟形式であるかを問題にするならば、もはや両者は似ても似つかぬ、むしろ根本的に相反するものとせられねばならない。かくして近代的合理主義の立場に立つかぎり、神話を愛するものはむしろ科学を愛せざるもの、反科学的なるものと規定せざるをえないのである。
いま、現代における思想的危機を、十分なる根拠において神話と科学との争いと規定するならば、以上見来たったごとき結論が正当であるかぎり、この危機を克服する途は、いうまでもなく、再生しようとする原始的な、野蛮な、少なくとも幼稚な神話を、科学に反する敵として、打ち斥けること以外にありえないわけである。だが、現代における神話の再生は、全く偶然的に、何らの必然的な理由もなしに生じたものであろうか。そうは思われない。科学の時代のただ中に神話が厳然たる事実として再生しつつあるということは、必ず科学に何らかの欠陥があること、そうして反科学的な神話に、この欠陥をみたすだけのものがあることを思わしめるに十分である。」
こうして、科学の知に対抗し、また科学の知の問題を克服しうるような、神話の知の再生が、30代の若き俊英が昭和30年代の暗黒の激動時代に取り組もうとしたきわめて実践的な研究プロジェクトなのであった。
もちろん、その神話の知が、無条件で素晴らしいものであるはずもない。戦前の難波田神話論には、ファシズム期日本の反西洋、反リベラリズム的スタンスを見て取ることができる。その思想的スタンスは、民族の本質的共同性に基礎づけられる。難波田による民族の理解にあっては、支配・被支配関係も、内戦も存在しない。どちらも歴史的に普遍的な現象であるにもかかわらず、今回取り上げる『国家と経済』第2巻では、まさに封殺されている。
こうしたピュアで平和な民族理解は、敗戦後も変わらない。難波田春夫は、民族の無謬性という情念的想いを捨て去ることができない。捨て去るどころか、むしろそこから普遍的原理を取り出し、より高次の理念を見出そうとしていく。たんなる空虚なイデオロギー的理想論であるようにみえて、実はこの民族なる存在者は、社会存在論的討究を突き進んで行くための本質的概念装置として機能しているのである。難波田の研究の魅力の一端をまさにここに指摘できるだろう。
やがて概念把握されることになるその高次の理念なるものが、後期難波田の思考の核となる相互律なのであるが、しかしそこには、民族なる存在の本質的共同性とはまったくもって異質な発想がみられる。民族の絶対性という情意的想いは、相互律の世界にあっては、相対化されざるをえない。日本民族の理念的絶対性は、特定存在者の特権的存在性を強調しているという意味において、悟性的認識に拠るものであると言わねばならない。そうである以上、民族なる存在者のその存在は、相互律の理念からはその絶対性が否定されなければならない。
けれども、戦前の『国家と経済』第2巻における神話論を検討していくと、その神話論には、そうシンプルには否定されえない思想的強靱性がみられる。そしてまさにその神話論こそが、民族なる存在者のその絶対性の根拠として、突き詰められているのである。
したがって、こう考えてみるべきであろう。難波田の思想的発展過程を展望していくにあたって、相互律的世界観と神話的世界観との鋭い緊張関係をあらためて討究していくことは、難波田の学問全体のポテンシャルを鋭く抉り出していくことにも帰結するはずだ、と。ここでその詳細を論究することはできないが、『国家と経済』第2巻を以下紹介していく中で、こうした難波田研究の方向性を示唆しておきたい。
『国家と経済』第2巻において展開された神話論について、その基本的特徴を整理しておこう。難波田は、神話なるものに重要な知のあり方を見出す。実証史学からすれば何とも馬鹿らしいかぎりの神話の記述に、深甚なる共同体の知を探り当てようとする。この第2巻は後の第3巻の準備作業に過ぎないのではあるが、難波田が共同体知構築のために選択した孔子とプラトンのテキストへの、難波田自身による神話論的問題構成に基づくその読みは、戦前の難波田神話論の、その現代的可能性すら検討したくなる射程を有するものであるように思われてならない。
難波田による神話論的孔子論およびプラトン論は、哲人による統治の要請という共同体知の必然的帰着点を読者に確認させる構成を有する。いうまでもなく、現実に人びとが共同生活を送っていく上で、哲人による統治なる実態の非現実性はあきらかである。難波田は、神話という知のあり方が有する、国家論としての本質的重要性に着目する。
孔子もまたプラトンも、その統治論はきわめてシンプルだ。端的に言って、それは単なるエリート独裁にすぎない。ところが、難波田は、このネガティブな議論のその蓋をすぐに閉じてしまうようなことはせず、むしろポジティブに論究を進め、共同体倫理の確立を問い、実践していくその方途を、孔子・プラトン両者の神話の知に探ろうとしたのであった。
リベラル・デモクラシーなど歯牙にもかけず、民族の内的調和に一切の疑問を呈することなく、神話なる共同体の知のその何ものにも代えがたい重要な知的価値に光を当てようとしてきた戦前の難波田には、戦後にいたって、ファシズム支援の汚名が着せられてきた。その戦前の難波田による、孔子とプラトンのシンプルなエリート独裁論に着目する戦後の思想家は、筆者の知るかぎりにおいて、存在しない。
しかし、そこには、否定されるべきエリート独裁で終わらせてはならない国家論の深みを見出すことができる。難波田の神話論は、まさにその深みを析出する。第2巻の社会思想的意義が、まさにここにある。国家なる存在者のその支配性を真に反省的に克服していくために、難波田の神話論は普遍的国家論の視座を据えるものであった。難波田の神話論という深い山に分け入るということは、時間をかけ徐々に少しずつ、民族共同体のその普遍的深淵を認識していこうとする知的営みに取り組むことと、同義なのである。
孔子とプラトンの比較統治論に触れておこう。二人の統治論を比較する試みは、日本の神話を本格的に考察していくための準備作業でもあった。難波田は、理想というべき統治のあり方を求めて、神話という知のあり方に思考を潜行させていく。そのためのアプローチ法が、この第2巻において模索されている。孔子も、プラトンも、難波田が描き出すところによれば、絶対者が存在し、その絶対者が非絶対者を訓育するという構図のなかで思考している。孔子とプラトンは、おどろくほど似通っている。中国もまたアテナイも、当時の地政学的大国である。政治の中心で展開される統治論に、支配被支配の構図がみられるというのは、世界史の普遍的な現象である。こうした構図の知のあり方の検討を通じて、難波田がいかにして神話的知のあり方の普遍性へと視点を移行させていったのか。『国家と経済』第2巻を思想の書として読み込んでいくポイントのひとつである。
『国家と経済』第2巻の魅力は、プラトンの哲人と孔子の聖人の、またプラトンのいう正義と孔子のいう仁の、それぞれの共通性と差異に関する概説が、見事なまでにクリアに読者に示されている点にある。繰り返し述べてきたように、主題はやがて国家論へと展開していくのだが、スピンオフさせ考え込んでみたい論点に満ちているのが、この第2巻である。
たとえば教育論だ。本書執筆時、難波田春夫は38歳。新進気鋭の期待の若手が、古典に帰って何を見いだしたのか。プラトンの教育論は、一見したところ、たんなるエリート独裁論に見えなくもないのだが、そのエリートをどのように育てていくべきかについてプラトンが説くところ、すなわち、智慧とエロスの関係としてエリート教育が論じられている箇所に関する難波田の論じ方からは、学者と教育に関するひとつの重要な関係が詳らかにされている。難波田がプラトンの教育について論じているところを読むと、すぐれた学者こそすぐれた教育者でもあるというのが実相なのではなく、むしろ、すぐれた学者こそ教育者になりたいと強く欲する者なのではないかと、強く考えさせられる。真に重要な研究を世に問う真の学者こそが、教育をしたくてたまらなくなるというのが実相なのではないか。難波田によるプラトン哲人教育論の解説を引用しておきたい。
「彼(プラトン)によれば、教育とは、他ならぬ全体的な人間が他の人間の全体に働きかけることであった。したがってそこには、単なる理性のみではなく、愛が、教えるものの教えられるものに対する愛が、そうしてまた教えられるものの教えるものに対する愛が、働いている。花咲ける若者と実熟せる成人との間の愛、それによってのみ、後者から前者への教育がありうる。エロスはたしかに教育の原動力として、中心的地位を占めているのである。だが、ここにいわゆるエロスの真にプラトン的な意味は何であろうか。「シュムポシオン」の語るところによれば、エロスは完全なる「智慧」と全然なる「無智」との中間に立って、たえず「智慧」にあこがれる「智を愛するもの」である という。「智慧」を愛することがプラトン的な「愛」なのである。「教育」のうちにはたしかに愛が働いているのであろう。しかしこの「愛」は、「智慧」においてすぐれたるものが、それにおいて劣れるものに対してなす「愛」である。一たびまことの「智慧」をもつに到ったものは、それを永遠にもとうと欲するにちがいない。しかし彼の肉体が亡ぶべきものであるかぎり、それは望むべくもないことである。永遠はただ「生殖」によってのみ可能であろう。「智慧」についてもまた、そうである。ただ「智慧」の「生殖」は、肉体によってすることはできない。ゆえに智慧すぐれたる「哲人」は、心すぐれたる青年をえらび、この青年の魂を孕ませることによって、その目的を達しようとするであろう。真にプラトン的なエロスは、哲人が彼の哲学を、後継者たりうると考えられる能力ある若者に伝えようとして注ぐ「愛」のうちにあらわれるのである。かくてエロスは、たしかに愛である。とはいえそれは、「智慧」に対する愛である。愛する「智慧」の永遠を欲するが、それは彼一人にては不可能であるため、この「智慧」を若者の魂のなかに懐胎させようとする。ゆえにそれは愛ではあるが、第一には「智慧」に対する愛であって、若者に対する愛は、ただこの目的のために出て来る二次的な愛である。愛のための愛ではなくして、「智慧」にささげられた愛である。「智慧」こそ、「哲学」こそ至高であって、愛はそのために役立っているにすぎない。そうしてまたそれとともに、哲人はあくまでも「智を愛するもの」であって、仁者のごとく「人を愛するもの」ではないということもできる。けだし彼の愛は、第一には「智慧」に向けられているのであって、ただそれの永遠を欲すればこそ、第二に若者に対して向けられるのだからである。哲人の教育、したがって彼の「政治」は、かくして 理智的であり、自己主張的であるを失わない。」
さて、プラトンと孔子の国家論である。いずれもいうまでもなく、リベラルデモクラシーとはほど遠い代物だ。啓蒙思想と市民革命を経たのちの現在の国家論からすれば、反自由・反人権・反法治の独裁的な国家像とさえいうべき過去の悪しき異物である。プラトンと孔子の理想の国家像のなかに、当時の難波田は何を問い、何を読み込もうとしたのだろうか。
まず、プラトンが語る神話にも、孔子が語る神話にも、難波田は、理想の国家、理想の人間のあり方を示す、永遠の型、これを見出そうとする。プラトンにおいては正義、孔子においては仁の概念が、それぞれ、この永遠の型の中心となるが、両者はしかし、理想の人間の型に関して、対立する。難波田の説明を引いておこう。
「正義がすでに述べたごとき自己主張の傾向を有するとき、仁は完全に自己否定的である。仁は種々の場合にあらわれる。たとえばそれは、人と人との間柄として考えられる父子、君臣、夫婦、長幼、朋友など5つの場合に分けて考えられるが、これらの関係のどれ一つとして、仁はつねに自己否定的、没我的にのみ現れて来るのである。たとえば父母は子に対して、子は父母に対して、思いやりの心に動かされ、あるいは慈愛を、あるいは孝養をつくす。そうしてそこには何らの自己も残されていない。彼らはお互いにわれを忘れて、ただ相手のことのみを思いやり、決して自分のことを考えない。この己れなき愛、惜しみなく与える愛が、仁なのである。かくてここには、かの正義におけるがごとき荘厳なばかりにも見える厳粛さ、透徹した理性の導きの下に自己を完成せしめようとする峻厳な努力は見られないが、われを忘れてまでも、自己のすべてを他のもののために 役立てようとする心情の温かさがある。一言をもっていうならば、正義と仁との差は、自己のことをすることと人を愛することとの相違である。前者が何よりもまず自分をめざしているに対して、後者はただひとえに没我的である。」
一見したところ、難波田は仁を説く孔子にシンパシーを感じているようにも想像できるのであるが、しかし、『国家と経済』第2巻に、そのように読み取れる箇所はない。プラトンが説く正義にもまた、難波田はリスペクトの眼差しを向けているようだ。
難波田が仁の経済と正義の経済に注目し、孔子とプラトンの原典に潜行しつつ、その意義について論じている箇所にもふれておきたい。経済が埋め込まれるべき価値システムとは何であるのかについて、若き難波田先生が古典に向かうその向き合い方を教えられるとともに、戦前の難波田国家論のコアとなる思考の土台に出会うことができる。孔子が説く仁の型に依拠すると、理想の経済は、自己を滅した思いやりの農本経済となる。農業には、自己を滅し他者を活かす思いやりの精神が必要だからだ。それに対して、プラトンが説く正義の型に依拠すると、理想の経済は、絶えず富裕と貧困の間の中庸を求める営みであり、他国との交易も、足らざるを補う限りに留めなければならない。端的に言って、仁の経済も、正義の経済も、経済成長の追求それ自体を否定する。人間の正しい生き方が実現される形で維持されていかなければならない。少々長いが、難波田が考察したところを引用しておきたい。
「中庸は、このようにして、明らかに孔子においてもプラトンにおいても、経済がよるべき準拠であった。仁が一貫の道であろうと、正義がそうであろうと、いずれにしてもそれらが経済において現れるとき、それらは中庸という形をとる。仁および正義の経済における現れ方は、いずれも中庸なのである。経済における中庸、われわれはここに、あまりにも遠く現代思想とかけ離れたものを見ないであろうか。──現代人にとっての常識は、「最大多数の最大幸福」であった。もちろんこの場合の幸福は、本来それが持っていた物質的快楽という意味を変質させられて、精神的なものともされたであろう。しかしこの修正は、結局単なる表面においてであって、物質的・肉体的快楽の上に精神的なまことの幸福が置かれてはいるが、前者は後者の手段であるとされてはいるが、しかしなおこの手段が「中庸」であるべきことには、考えが及んでいない。手段が多ければ多いほど、目的への到達も十分になされるとされる。物質的な満足の手段が最大であることは、依然として幸福を最大にするための必須の手段と考えられているのである。一見確かに、すでに述べたように、手段の最大は目的到達の最大を可能にするとも考えられる。しかしそれはそうではなかった。心が奢りやすい大衆にあっては、最大の手段はともすれば、目的が何であるかを忘れさせる。ゆえに、一度最大の欲望満足の手段の追求が是認されたと仮定する。ならば彼ら大衆は、できる限りかかる手段の多くを求めようと努力するであろう。欲望の形は種々雑多であるが、ともかくそれらはすべて金銭によって獲得されることにより、大衆はすべて金儲けに夢中になってしまう。心を緩める者は、もちろん直ちに峻厳な優勝劣敗の原則によって罰せられる。ある少数のみの見識ある人々は、あるいは欲望の満足そのものを目的とせず、さらにより高いものに目標を定めているであろう。とはいえかかる人々すら、好むと好まざるとにかかわらず、この激しい競争に参加せざるを得ない。その結果、どのような事態が生じるか。
激しい生存競争は、確かに一方では著しい富の堆積をつくり、華美を極めた、いわゆる文明の世界を築き上げるであろう。それはわれわれが眼前に見るとおりである。しかし問題はむしろその他の側面である。まず金銭への狂奔は、それが単なる手段であることを知る者すら、金銭の奴隷とさせずにはおかない。それを免れようとすれば、生存競争に敗れる。かくして万物の尺度は富となってしまう。尊崇されるもの、社会的な地位を決定するものは金銭である。しかるに金銭を愛する者は、それ以外の一切のものの価値を軽んじ、やがては人間すら利の対象とばかり考えて、人間労働を商品と見るに至るのである。かくしては当然人と人との間から、美しい心の交感はなくなり、いわゆる共同社会は崩壊して、利益社会が生じるであろう。そしてかかる社会からは、また生活感情と呼ばれる生の味わいが消え失せて、乾燥しきった生活しか残らない。人は富を快楽の手段と考えながら、この手段を追うのに忙しいため、ようやく寸暇を見出しうるにすぎない。彼はこの寸暇をできる限り効率のよい享楽によって満たそうとする。しかし金銭への狂奔に追いたてられる生活の不安は、これに耽るだけのゆとりさえ与えない。あわただしい労働と不安な享楽とが交錯する。したがって彼らの生活感情は空虚である。何のために生きているのか、分からなくなる。したがってまた彼らは、この空虚感を打ち消そうとして、ますます強烈な快楽に向かう。悪どいエロとグロと、そしてまたそのあとに望まれる意味のないナンセンスとが、彼らに襲いかかってくる。しかし絶え間ない労働にすり減らされた彼らの神経は、それらをすら十分な慰めとして受け入れることができない。しかも彼らは、労働とかかる慰めとを除いては、何らの力をも残してはいないであろう。ゆえに彼らは、簡便という言葉に弁護されて、可能な限りの怠惰な消費を求める。しかも彼らは、それをすら落ち着いて味わうだけの落ち着いた心を持ってはいないのである。
思えば、華美を極めた近代文明も、われわれには不安以外の何ものをも与えなかったのである。経済が人間生活における癌であるのは、まさに掛かる理由からである。他の人間生活の領域と無関係な経済生活のみの増大、発展は、あたかも肉体の他の部分に関わりなく肥大していく組織のごとく、全体としての人間生活にとってますます破壊的となるのである。たとえそれを手段としてであれ、かかる手段の最大を求めた近代思想は、一切の手段(ミッテル)が手段(ミッテル)でなければならないことを忘れていた結果、かくも大なる不幸を見なければならなかったのである。経済のよるべき原理、経済の型が忘れられた結果は、かくも決定的である。またそれに気付いたからこそ、われわれはこうして型を、古典への反省によって見出そうとしたのである。経済の中庸、それはいかなる場合においても、経済にとって忘れることのできない経済の型である。いかなる形態の経済も、これに似ている限りに於いて経済と呼ばれるが、しかしまた決して完全にそれと一致することはできない。すべての経済はただこの型に向かって、よりよく似ようとのみ努力すべきなのである。
かくして孔子とプラトンとにおける経済の型は、その形において中庸であった。だが、それらは等しく中庸でありながら、なおそこに看過しがたい相違を持っている。われわれはそれを否定することができない。そもそも「中庸」は「経済の型」ではあるが、それは単なる外形においてであって、内なる心においては、両者は異なるものから来ているのであった。すなわち孔子における中庸は、仁によって貫かれ、プラトンにおけるそれは正義に基づいている。その結果両者における中庸は、仁と正義のそれのごとき対峙を示さざるを得ないのである。──
まず仁は思いやりであった。仁が道であるところにおいては、人は「自然を友とする」。あるいはそれを、同じ父の生んだ兄弟と見る。決してそれを、われわれが支配し、克服していくべきものとは考えない。温かい「思いやり」の心をもって自然のなかへ、われを忘れて溶け込んでいこうとする。しかるにかくのごとくにして、人間が自己を否定して、自然の立場に立つならば、彼はそこにただ己を空しくして人間のために役立とうとする自然を見出すに違いない。彼はこの役立ちに対して感謝せざるを得ないとともに、自らもまた自然そのもののために、できる限り自己を捨てて役立とうと努めるであろう。ゆえに彼は決して自然を虐げない。むしろ自然をいたわりつつ、これを繁栄させようとし、この自然の繁栄に自らの喜びをさえ見ようとする。自然に対する利用、厚生としての経済の中庸は、この自然に対する心からの思いやりに満ちた人間の態度から来ているのである。
しかるに、理性的、自己主張的な態度をもってするところにおいては、中庸はむしろ自己主張的なこの態度によって来る。ここでは、人は何よりもまず自己の生活が最も幸福であることを願う。かかる生活は、プラトンにおいては言うまでもなく観想の生活である。しかるに人間がかかる生活に浸るためには、肉体を持っている限り、この肉体をして最も妨げ少なきものとさせねばならない。元来人間は、現実の自然界と天上のイデア界との二つの世界の中間者である。人間の魂はもともと天の上なる世界に住んでいたのであるが、天をかける翼を折ったため、自然の世界に属する人間の肉の中に宿って、この自然的世界の中に生まれ来たのであった。しかるに自然の世界は天上なるイデアの世界の影である。魂はこの影を見て、かつて住んでいた美しい故郷を想起し、限りなく深い郷愁をもってこれを慕い憧れる。人間にとっての幸福は、魂にこの郷愁を満足させ、もって魂の安らぎを得ること以外にはないであろう。ゆえに人は、できる限りイデアの世界の観想に浸って、これを妨げようとする自然的、肉体的な世界への愛着から免れることに努力すべきなのである。かくして観想の生活こそは、人間にとって最も幸福であり、最も価値ある生活であり、肉体の生活は常に否定されるべき値打ちない生活である。肉体、自然、要するに人間にとって煩わしいものである。とはいえこの牢獄に閉ざされている人間は、それを無視し、否定することができない。それは煩わしいものではあるが、なおやむを得ないものである。人はただそれを、観想の生活の妨げにならぬ程度にしておくよりほかはない。さればこそ彼は、中庸の経済、中庸の欲望満足を営むべきであると考えられる。欲望の満足が過度となり、経済に努力することあまりに大となるならば、観想の生活はおのずからおろそかとならざるを得ない。といつてそれを満たすことが不足すれば、肉体は満足を求めて泣き騒ぐであろう。欲望満足の、したがって経済活動の中庸は、かくして観想の生活のための最も良き手段とされるのである。いずれにせよ、ここでは経済の中庸は、人間が最も幸福なる生活を営むために必要であるとの理由をもって定立される。もちろん観想の生活は人のみなしうるところであって、その他の大衆の預かりうるところではない。とはいえこれは、人間の存在の仕方であって、彼らもまた一切の欲望を捨てて、これに近づくべきであった。そしてまたその代わりに、彼らにとっても限りなく増大しようとする欲望を抑え、これを中庸ならしめることこそ、純粋にして永遠なる幸福を与えるに違いない。そのために経済の中庸は、統治の規準ともなるのである。かくして中庸は、いずれにしても明らかに人間の自己主張的な態度から出ている。それは自己の幸福のために望まれている。ここでもまた人間の自然に対する利用は、適度の限界内に制限される。とはいえこの自然利用の適度は、人間自らが幸福となることを意識しての結果にほかならない。自己主張的な人間の自然利用は、ともすればそれが手段にすぎないことを忘れて、できる限り多くにと増大しやすい。しかし知恵ある理性は、そうすることがかえって自らの自己主張を十分ならしめないことを知っている。ゆえに増大しようとする心を抑えて、中庸の域にこれをとどめるのである。
かくてもはや両者の対立は明らかとなる。温かい心情をもって自然を眺める者は、決して人間自身の利益のために自然に働きかけようとはしない。草花一つをつくるにも、草花そのもののためにわれを忘れて骨折る。そこには何らの自己もない。自然の繁栄そのもののうちに自己の喜びを見出す。そのためにまた彼は、おのずから自然を過度に利用しようとはせず、思いやり深く適度であろうとする。中庸は、かくして人間の仁なる心から来る自己否定に基づく。しかるにそれはまた、人間の正義なる心からも出てくる。ここでは、人は彼自らが真に正しく、幸福なる生活を営むことを主張する。しかるにこの最上なる生活は、一切の欲望を抑えることによってのみ可能であろう。欲望の全的な否定が直ちに生の否定を意味するとき、欲望の抑制はその満足を中庸ならしめることによって、その妨げをなくする場合に実現する。経済の中庸は、かくして人間が自己の正しさと幸福とを意図する場合にも現れるのである。この場合の「中庸」は明らかに自己主張的である。中庸は自然を思いやることからも、自分自らを思うことからも、出てくるのである。」
難波田は、経済の正しき道としての中庸の理念を検討しつつ、人間の共同体のノモスを考察していく。聖哲なる者のみが真に正しい教法を示すことができるという認識に立つならば、その聖哲なる者なきあとの国家に正しい法を与える仕組みは何であろうか。もちろんそれが、神話の知なのであるが、難波田はこの『国家と経済』第2巻において、まさにこの点を詳らかにしようとたのである。
この点をもう少し見ておこう。プラトンに読み込まれる国家論においては、エリート主義が突き詰められていく。人間の正しい生き方、社会の正しい秩序に知悉する聖哲、要するに真理を知り尽くした凄い哲学者にして凄い政治家の物語がプラトンによって物語られるのであるが、しかし実はこの語りを通じて絶対的スーパーエリートのその限界が問われているのでもあるという点に留意したい。聖哲はどこから人間と社会の真理を知るのか。それは民族の歴史と伝統からである。ではその歴史と伝統に根づいた正しい生き方、正しい秩序のあり方はどのように民草たちに浸透させていけばよいのか。それは法を通じてである。では民草が法に従うようになるのは、どのようにしてなのか。それは法への尊敬を通じてである。では民草たちはどのようにして法を尊敬するようになるのか。と、討究は続く。行き着くところは、祭祀と遊戯である。非日常のフェスティバルへの真面目さが大切なのだというアーギュメントに行き着くことになる。難波田の文章構成力には、学術的思考の醍醐味さえ感じられる強靱さと魅力が備わっている。
支配階層の絶対的無謬性と被支配階層の絶対的劣等性が何度も繰り返し強調されるプラトンの『国家』を読まされると、気が滅入ってくる。しかし、そうした絶対の、スーパーエリートの存在があってはじめて国家はその正しい秩序を保っていけるにも関わらず、そのようなエリートが存在しないとなれば、国家は如何にしてこのスーパーエリートにかわる正しき国家維持装置を手にすれば良いのだろうか。エリート独裁の神話的議論からは、こうした論理の展開が可能にある。難波田は、まさに聖哲など存在しない現実の国家にあって、いかに正しい生き方、正しい秩序が可能かを問うていくそのプロセスにおいて、聖哲なる独裁的スーパーエリートのその政治主体としての本質的特徴を露わにしていく。難波田のプラトンの読み方、そして孔子の読み方には、現代的人権主義/立憲主義のリベラルデモクラシーに則した批判は皆無であり、危険な極右イデオロギーの発露にすぎないとの非難も可能である。しかし、あたかもファッショ国家の存在論的正統性を追及するかのような古典の読み方から、実は為政者のたんなる媒介性(正しきことを共同体に浸透させていく媒体的存在に過ぎないこと)が浮かび上がってくる。為政者はひたすらに絶対者を志向することを通じて、ただひたすらに民草に仕える身であることが主張されているのである。孔子とプラトンを読み込むことを通じて構築されていく難波田の神話論的国家論は、エリート独裁の構図を、民草の奴隷としての独裁者という構図へと、価値転換するものである。
この価値転換は、しかしそうシンプルに価値評価してはならない。難波田は、『国家と経済』第2巻において、絶対的権威主義国家のファシズム的発想を手に取れるように分かりやすく説明しているのだが、その説明にあって、難波田は、プラトンが説くところの、若者に異国の音楽、新しい音楽を禁じ、外国人の流入も徹底的に制限するところに、賛意を表している。プラトンのこうした排外主義とエリート独裁には、甚大なる危険性が見出されるべきなのではないか。しかし難波田は、むしろリベラルデモクラシーとマーケット経済の資本主義の方を、重大に問題視するのであった。
なお、ファシズムの基本の論理が孔子とプラトンに探られているとはいえ、ファシズムという名称はどこまでもヨーロッパの地において広まった観念であり、1930年代の青年期難波田春夫が意識していた概念ではない。そしてなによりも『国家と経済』第2巻において深刻に検討されているのは、正しい政治のあり方について、孔子とプラントンがどのような主張をわれわれに遺したのかであった。そしてその主張は、ふたりの神話論に見出すことができるというのが、難波田のアーギュメントである。
さて、国家の正しい秩序のあり方をいかに維持していくか。聖王や哲人が民に与えた教えを維持していくことが絶対的に求められるのだが、聖王も哲人も未来永劫、存在しつづけられるわけでなく、 聖王・哲人なきあとの国家のあり方が構想されなければならないわけだが、プラトンと孔子はこの問題をどう考えたのか。結局のところ、絶対の真理が存在し、かつ、それを提供できる人間が存在し、もって、これを引き継ぐエリートたちが自らの権力を自らのために使うことなく、ただひたすら民にその教えを浸透させていくことに人生の全てをかけていく、これが難波田によって解説された孔子とプラトンの神話的世界の構図である。もちろん、人は腐敗する。だからこそ、聖王・哲人の教えをただひたすらに1ミリも変えることなく引き継いでいくことが求められるのだという。
難波田が孔子とプラトンに読み込もうとしたその親和的世界の構図について、今少し具体的に考えてみたい。プラトンと孔子がそれぞれに描いた理想の経済のあり方に関して、難波田は両者の共通性に注目する。それは農を本とする経済であり、かつ、いたずらに成長を求めない経済である。20世紀風に換言すれば、これは定常経済だと言えよう(21世紀にこの言葉がとんと見られなくなってしまっていることに、現代資本主義の深い問題性の現れの一端を見出すことができるかもしれない)。ただ、このプラトン的・孔子的定常経済は、何と言うべきか、私利私欲にまみれた支配者が存在しない場合のファシズム的社会だとも換言できよう。個々人の自由なる自己実現などという発想は皆無だ。各人はそれぞれの分に応じた生活のなかにみずからを埋没させていかねばならない。ただし、あらゆる自国民を絶対に飢えさせることはしない仕組みが、この定常経済に埋め込まれている点に注意が必要だ。現代風に換言すれば、いわゆるベーシックインカムの制度である。外国人を排除すべきとするプラトンのその排外主義的思想、完全なる階級社会の肯定には、薄気味悪さを感じざるを得ない。孔子においては曖昧な記述になるものの、難波田によればプラトンも孔子も同じだという。あえていえば、成長至上主義が克服された国民社会主義だと、言い換えられるかもしれない(国民以外に市民権はなく、異国民はただ放追されるのみ)。こうした排外的抑圧社会が、定常経済とベーシックインカムの二本柱によって支えられ、社会の安寧と個人の倫理的気高さが獲得される、という主張になろう。コスモポリタン的普遍的シティズンシップという発想は当然のことながら、若き難波田春夫にはありえない。真の日本的なるものでもって、欧米のリベラリズム、ソビエトのソーシャリズム/コミュニズムからの思想的独立を苛烈に進めようとした若き難波田春夫が、プラトンと孔子に学び取ったことは、適度な経済と絶対の所得分配にシンパシーを感じつつ、結局は、日本的なるものへの徹底的な沈静熟考が要請されるという思想的方向性であった。
そして、というべきか、しかし、と繋ぐべきか、迷うところだが、若き難波田春夫は、プラトンと孔子の世界を乗りこえていこうとする。ひたすらにプラトンと孔子のテキストに分け入った彼の研究は、この第2巻で一区切りとなり、いよいよ『国家と経済』第3巻の日本神話論へと研究が進んでいく。難波田はこの第2巻を次のように閉じている。
「・・・適度の土地の分配をうけた人々は、ここにこの土地を経営することによって適度の生活手段を得、以て最も有意義なる祭りの生活に入ってゆく。もはや彼らに対して要求せられることは、かくの如く分かち興へられた分割地をまもり、決して他人の分に侵入しないといふことのみである。ゆえにたとへばプラトンに於けるノモイの國家は、農業に関して、まづ「何びとも、土地の境界石を動かしてはならない」と規定する。隣人との間になされる正しからぬ行為は、たとへその一つ一つが如何に小さくとも、堆積するにした がって大きくなり、したがつてまたそれだけに怨恨の度を高め、正しく行はれるならばそれ以上美しいものはないとまでいひうる近隣の生活を、それだけにまた堪へがたく不愉快なものとする。動かすべきものがあるならば、それは境界の石ではなくして、耕作を妨げてゐる岩石なので ある。
同様のことは、農耕に於けるあらゆる営みについてもいはれる。たとへば隣人の土地に自己の 家畜を放たないやう、木を植ゑるにも他人の土地から一定の隔たりを設けるやう、共同の水源から水をひくときには他人の水路を横切らぬやう、許可なくして他人の土地に生する果実をとらぬやうなど、無限に多くの規定が同じ原則から出てくる。それらの一つ一つを述べつくすことは、歴史的條件の美化にしたがって種々差別あるものとなるかぎり、不可能でもあり、また不必要でもあらう。必要なることは、むしろかかる具体的な規定がすべてそれより出で来る根源としての法、教へあるひは人間的生活のしかたを明かにすることである。この根源より出で来る規定にあらずんば、幾千百の規定を以てするとも、つひに國家から災ひを除くことはできない。それはプラトンみづからの譬喩を以てするならば、「ヒュドラの頭を切る」やうなものであつて、切りとつた傷口から直ちに新しい二つの頭が生ずる。一つの害悪を一つの規定によつて除かうとするとき、その結果直ちに二つの害悪が生れ來るのである。
ヒュドラを征服する唯一の策は、ただ根源としての教へにかへることのみにある。それ以外には、如何なる途もひらけてはいない。かくてまたわれわれがこれから進んでゆくべき途も、おのづからにして明かであらう。われわれはわれわれ自身にとつて根源的な教へにかへってゆかねばならないのである。」
ここでいうところのわれわれ自身にとって根源的な教へ、それが、第3巻にて詳らかにされていく日本の神話である。折を見て、とりあげてみたい。
最後に、当時の東京大学法学部において国家を背負う気概をもった若き鋭才が、その学術的営為においてどのような実践的意識を保持していたのかについて、考えていきたい。孔子研究への、またプラトン研究への国際的貢献など、その意図は微塵も感じさせないテキスト構成だ。30代の若き鋭才にとって、国際水準の研究を為すことは大いなる野心であったのではないかと、ごく当然のごとく考えてみたいのではあるが、当時の(そしてその後の研究生活も含め)、難波田にとってはそんなことはどうでも良かったようである。ドイツの学術雑誌に投稿したのも、戦後の公職追放を経験した身にあって、研究を発表する場が限られていたからである(本人はそう告白している)。東大法学部発行の学術雑誌に毎号寄稿していたドイツの経済学研究動向紹介をみても、意識は日本の学会ではなく、ヨーロッパの一線級を志向していたことは間違いない。しかし、それよりも何よりも、学術研究が進まねばならぬその道は、若き難波田にとっては(そしてその後生涯を通じてと言うべきなのだが)、善き社会とは何であり、どのように創り出していくべきかという問い、ただこれを問う道のみであった。
文・臼井陽一郎




