https://dl.ndl.go.jp/pid/2235471/1/16
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田村正勝が25歳のときに、『経済論壇』(第16巻7号、1970年7月)に寄稿した論文。このなかで若き田村は、新自由主義的経済学を代表するハイエク(Friedrich August von Hayek, 1899-1992)を取り上げた。
この『経済論壇』は、1955年7月に創刊され、時の経団連副会長を筆頭とする財界向けの雑誌だった。その後、木内信胤が中心となり、1967年7月号(第13巻7号)から「新自由主義」の機関誌を標ぼうして、1993年9月号(第39巻9号、通巻437号)まで約40年間継続した。なお、木内は1958年にハイエク自身から誘われ「モンペルラン協会」(新自由主義を広げるための国際組織)に加入した日本人第一号である[1]。
さて田村は、こうした性格をもつ雑誌の基盤的な思想である、ハイエク自身の社会科学に関する論考を検討した。そのなかでは、ハイエクがウェーバーの社会科学論への批判を通じて、あるべき社会秩序の問題の考察にうつる様子が描かれている。すなわち、ハイエクによれば、ウェーバーは科学的認識と価値判断を区別することを説いた(没価値性、つまり個人の価値判断を科学的な判断に入れないこと)[2]。しかしハイエクは、その区別をおこなうためには基準となる価値(=あるべき社会)自体を明らかにしなければならないという。
では、そのあるべき社会とはどのようなものか。ハイエクは、「人間の理性は事物の本性を部分的にしか把握できない」という哲学に基づき、理性によって社会を計画管理することの限界を指摘した。したがって、あるべき社会は、自由と「交換の正義」が守られる社会である。そして、このような自由と両立する社会秩序が、人間の作為を超えた「自生的秩序」であることが本誌では解説されている。
こうしたハイエクの思想に対する田村の評価は、本論文ではそれほど明示的に書かれてはいない。しかしながら、ハイエクの思想が他の新自由主義者と比較しても、スミス以来の旧自由主義の立場と非常に近いことが指摘され、その違いがどこにあるのかと、ハイエクに対して批判的な疑問は投げかけられている。
なお、田村はその後、『現代の経済社会体制』(1980年、新評論、106頁)のなかでは、ハイエクやフリードマンらの新自由主義について、「余りに歴史認識に欠けるところの、むしろ手放しの一九世紀的自由主義者の見解」と痛烈に批判している。このように田村は、自らもそこに身を置き、勢いを増しつつあった日本の新自由主義的潮流の真っただ中で、批判的に自身の立場を形成していったと考えられる。その田村の経済学や経済分析の特徴に関しては、田村が影響を受けた難波田春夫や、ドイツ歴史学派との関係からも今後明らかにしてゆく必要がある。
注
[1] 木内信胤(1986年)『國の個性』プレジデント社、p.25。
[2] なお、田村自身はウェーバーの価値自由について、以下のように述べている。
しかしウェーバーは、このような客観主義的抽象的な方法だけを構想したのではない。先述の彼の「価値自由」の主張は、すでにリッケルトによって導入された「価値関係(Wertbeziehung, Wertbezogenheit)」の概念をも背後にもっていた。そしてウェーバーは、この概念から意味理解の問題にアプローチしている。それは厳密な「超越論的論理的な意味(transzendentallogischer Sinn)」であり、カント=ウェーバー的な思考では客観的なものと言えるが、一般的には主観的認識と考えられるものである。それは次のごとき意味理解であり、われわれはここに実践の要請を読み取ることができよう。
探究者がどのような価値観点から対象をとりあげようとも、社会科学においては最終的に向かう「価値関係」がある。自然科学における理論領域は、探究の出発点をどこに置くかで探究の方向や結論が異なってくるが、社会科学では、必ず向かう一定の価値――ウェーバーはこれを星々(Gestirne)と言う――がある。それは探究者の価値観点やそれに基づいた対象の構成以前に、対象自体が置かれた本来の価値関係である。探究者がどのような価値観点から始めようとも、それをつき進めているうちに、自分の仕事と意味と方向性を明らかにしてくれる「星々」に、すなわち本来の価値関係にまで到達する。そこで探究者は、自分の観点や立場あるいは概念装置を転換して、そうした方向や意味に従うことになる。したがってこのような本来の価値関係は、経験科学的な基準で維持されたり逆に否定されることのない、根源的な価値関係だということである。田村正勝(2000年)『新時代の社会哲学[新装版]』早稲田大学出版部, p.158.
文責:廣重剛史







